京都府神社庁
 




神社を知る 第1回  「神社を知る」


わたしのかみさま絵画コンクール※1 入選作品

ようこそ神社庁のホームページにお越し下さいました。

私たちの周りには至る所に神社があります。神社には様々な神さまが祀られていて、神社ごとに祀られている神さまが違います。

普段は無人の神社でも、一年に一度はその地域の人々が集まって必ずお祭りがおこなわれ、お正月にはその地域の人々が神社に詣でて手を合わせます。でも、そこにどんな神さまが祀られているのか、その地域の人でも知っている人はそんなに多くはないでしょう。「どんな神さま」かは知らなくても手を合わせます。それにこだわる人も少ないでしょう。

一神教(神はあらゆる力を具えた全知全能の神・一神の存在しか認めない宗教)の信仰者からみれば「日本人の宗教心は何といい加減な」と思うでしょうが、日本人にとってはそれがおかしなことでも何でもない、ごくごく当り前のことになっています。それが神社(神道)です。

宗教学者で秩父神社宮司の薗田稔氏(京都大学名誉教授)は、神道は「自然の中に神を見た信仰」だと言っておられます。
なるほど簡明な説明です。

江戸初期の伊勢の神主・出口延佳は「何となくただありがたき心」それが神の道だと。また、平安末期の歌人で有名な西行は伊勢の神宮にお参りして、

  なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

   (どなたさまがいらっしゃるのかよくはわかりませんが、おそれ多くてありがたくて、ただただ涙があふれ出て止まりません)
と詠んでいます。誰も何も言わなくても、ただありがたく、かたじけなく「思わず手を合わせてしまう」それが神道だということでしょう。

要するに、神道を薗田宮司の言葉にもう一言添えて説明すれば、「神道は自然の中に神々を感じた信仰」です。

日本は温暖な気候に恵まれて自然は豊かです。そこに生きる日本人は自然の恵みをいっぱいいただいて生活しています。時には恐ろしい災害もありますが、その時は恐れ慎しみ、しばらく我慢しておれば、やがて治まります。

自然は恐ろしい反面、たくさんの恵みを与えてくれるありがたい存在です。人々は、自然界の一つ一つの働きに人の力の及ばない何か大きな力の働きを感じて「ありがたい」「恐れ多い」と崇めてきました。

だから、我々の祖先は、世の中の隅々まで明るく照らす太陽を「お日さま」と尊称して特別な思いを抱き、また、海には海の神、山には山の神、水には水の神、木には木の神、草や石ころにまで神霊の働きを感じて、感謝と怒りに触れないための祈りを捧げて生活をしてきたのです。その「感謝と祈り」の生活が日本人の日常的な暮らしであって、そこに「神の説明」など必要とはしなかったのです。




わたしのかみさま絵画コンクール 入選作品

これに対して一神教は、昼と夜の温度差が激しく雨の少ない砂漠地帯とか、太陽の光が弱くて土地は痩せ、牧草しか育たないような自然条件の厳しい所で生まれています。

そこに暮らす人々は、「自然は人間と共存する」などと悠長なことを言ってはおられません。少しでも気をゆるめると死が待っています。自然は「ありがたい」存在ではなく、「自然にどう打ち勝つか」が生きるための条件です。

「自然が神」だなんてとんでもない。人間はもちろん、自然界のあらゆるものは神が造ったものなのです。

そういう世界での人間と自然の関係は、人間が上、その下に自然が位置づけられています。キリスト教と関わりの深いユダヤ教の旧訳聖書には、全智全能の神が自然界のあらゆる物を造ったあと、最後に自分の姿に似せて男と女の人間を造り、そして人間に「子孫を増やして大地を征服せよ。海の魚と空飛ぶ鳥と、地上を這う全ての生き物を所有し支配せよ」と祝福の言葉を贈っています。これがユダヤ教、キリスト教の自然観です。

つまり、人間が自然を征服することは神から与えられた特権だということです。だから、自然に打ち勝つためにいろいろな方法が考えられ、それが科学技術の進展につながってゆくのです。

地球上の万物を造った神は、何よりも強いあらゆる力を具えた存在でなくてはなりません。そのような神はただ一神です。他に神などいてはなりません。似たような存在があれば、それは悪魔です。一神教では神の存在を信じるのと同じく悪魔の存在も信じています。悪魔は滅ぼすか追放するしかなく、悪魔と妥協など出来ません。今でも宗教間の争いが絶えないのはそのためです。


わたしのかみさま絵画コンクール 入選作品

日本の神々の話に戻りましょう。

貞明皇后(大正天皇の皇后)は、

   キリストも釈迦も孔子も敬ひて拝(おろが)む神の道ぞたふとき(尊き)

というお歌を詠んでおられます。

日本は八百万の神々が仲良く暮らす国ですから、外国の神さまも客神と言って大事に扱い、仲良くしてきました。それが神の道、神道だと、貞明皇后はこの短いお歌の中でみごとに神道の真髄を詠み込んでおられます。

日本人は実におおらかで、神さま、仏さま、キリストさま、みんな受け入れて何も思いません。だから、家庭の中に神棚と仏壇が共存したり、キリスト教式で結婚式を挙げても、子供が産まれるとお宮参りに、亡くなればお寺の世話になるのです。

ほとんどの人は「自分は神道の信仰者だ」等と認識はしていないのですが、神道は日本人の血肉の中に仕組まれているのです。
「神道は日本人のDNA」だと言われるゆえんです。だから、あなたも意識「する」「しない」に関わらず、立派な神道人なのです。

(人間だって死ねば神になるのです。私たち日本人は、「祖先は神さまから産まれたもので、死ねばその霊魂はまた神の世界に戻る」のだと考えてきました。神も祖先も同一です。ですから人が神として祀られている神社もたくさんあるわけです。菅原道真をお祀りした天満宮、豊臣秀吉の豊国神社、徳川家康の東照宮、楠正成の湊川神社、戦没者をお祀りした靖国神社、護国神社もあります。)


わたしのかみさま絵画コンクール 入選作品


「日本人はおおらかだ」と書きました。それは日本の神々が、実におおらかで平和な神々だからです。それを日本の神話の中から説明しましょう。神話の中でも特に有名な「天の岩戸」の話です。

日本の神々の中で最も貴い神が伊勢の神宮にお祀りされている日の神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)です。皇室の祖先神でもあります。その天照大御神が、弟神の須佐男尊(スサノオノミコト)の乱暴にほとほと困られ、悩まれて「天の岩戸(アマノイワト)」という洞窟に隠れ、大岩でふさいでしまわれます。

太陽の神さまが隠れられたのですから、たちまち世の中はまっ暗になりました。悪い神も騒ぎだし、災いが吹き出すように出てきました。神々は大層困られ、岩戸の前に集まって早く天照大御神に出てきてもらおうと相談を始めました。一番知恵のある思兼神に、いい方法を考えてもらうことにしました。

(そして岩戸の前で、現在の神社の祭礼の原型となる催しを面白おかしくくりひろげます。)

天照大御神は「自分が隠れれば世の中は暗闇のはずなのに、なぜ皆は楽しく騒いでいるのか」と不思議に思われて、少し岩戸を開いて外の様子を伺われました。そのとき、間髪を入れず岩戸の側に隠れていた手力男尊が岩戸を引き開けられ、世の中に再び光がよみがえったのです。

この物語から、天照大御神も、八百万(ヤオヨロズ)の神々※2も苦しみ悩まれることが分かります。日本の神は絶大な力を具えた存在ではありません。神々は悩み困り果てた末、集まって会議を開かれます。「ああでもない」「こうでもない」と相談をされる。神さまが会議を開かれるとは、何とおおらかではありませんか。

「日本は神代の時代から民主的だった」と誇りを持って言えるでしょう。

さて、天照大御神が最も貴い神さまとして仰がれていますが、他の神々と同じように悩み苦しまれる神さまが、なぜ最も貴いのでしょう。

天の岩戸に集まった神々は、皆、それぞれの道においては最も優れた能力をお持ちの神々です。思兼神(オモイカネノカミ)は天照大御神よりも智恵のある神さまです。手力男尊(タヂカラオノミコト)は天照大御神よりも力持ちの神さまです。どの神さまもどの神さまも、その道にかけては第一級の神さまですが、暗闇になってしまっては、その力を充分に発揮することができません。

天照大御神の光を受けてはじめてその能力が発揮できるのです。自ら光り輝き、神々にその光をあまねく照らされる天照大御神こそ、神々の中で最も貴い神さまと仰がれるゆえんです。

このことは皇室と国民の関係にも当てはまります。天照大御神が皇室の祖先神と言われるのもこのためです。



わたしのかみさま絵画コンクール 入選作品



日本の神は、そういう、のどかでおおらかな、いたって平和な神々です。世界はいまも宗教間の争いが絶えません。自然破壊の問題も地球的規模で深刻です。

「二十世紀は自然破壊の時代、二十一世紀は自然復元の時代」だと言われています。

そういう時代に立って、「恐れと慎しみの心」で大自然と接してきた神道(日本人の心)を見つめ直してみるのも大事なことではないでしょうか。






  ※1 わたしのかみさま絵画コンクールは、京都府神社庁教化委員会が行った絵画コンクールです。
  ※2 八百万(ヤオヨロズ)は、「非常に多くの」或いは「皆」という意味で使われます。




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