第50代垣武天皇延暦年中平安遷都(794)に当たり大内裏御造営の木材を山国の郷より徴せられ此の郷を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ祭主として和気清麿呂公(733〜799)が奉仕せられた。
爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達する事が恒例となった。第67代三条天皇の長和5年(1016)神位正一位を贈られ御祈願所として菊花の御紋章を賜り、春日 加茂 御霊 日吉の四社を建立して五社明神とした。
源平の兵乱に破壊されたが第87代四条天皇の天福元年(1233)再建され第96代後醍醐天皇、元弘の乱(1333)に亦々破却されたが足利尊氏の臣細川頼之当地に隠棲する間、本社復興のことを執奏し、幸いにも応永6年(1399)社殿を復旧 綸旨を賜る、この時足利義満(1358〜1408)丸に2引の徽章を奉納する、爾来この紋章を当神社の紋章とする。
その後第107代、後陽成天皇の慶長元年(1596)再建され明治6年(1873)郷社に明治33年(1900)府社に列格された、延喜式内の古くからの社である。 |