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御靈神社
御靈神社
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神社の起り
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 本殿八座の御鎮座年月は詳ならざるも社記によれば、桓武天皇の御宇延暦13年5月崇道天皇の神霊を現今の社地に祀り給ひしを始めとす。其後仁明天皇、清和天皇両朝に至りて井上内親王、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫の神霊を合祀せられ貞観5年5月廿日神泉苑に六座の神座を設け悪疫退散の御霊会を勅修あらせられたるは史上明らかにして、当社御祭神を勅祭し給ひし始めなり。後更に以上六所の荒魂、火雷神と吉備聖霊とを併祭されるに至り、俗に社号八所御霊又は八所御霊大明神と称へ奉り国家守護。皇居御産土神、都民擁護の崇社として斯に長久に鎮座し給へるなり。

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皇室の御崇敬

皇室の御崇敬  桓武天皇、仁明天皇の御勧請に依り奉祀せられし皇居御産土神なるを以て皇室の御崇敬特に篤く。殊に霊元天皇に於かせられては享保8年9月。同14年2月の再度行幸御参詣あらせられ、暦朝御即位大嘗祭の大儀を初めとして天下泰平御祈祷及び当社遷座祭には勅使、院使の御差遣あり。又皇子皇女御降誕の節、御胞衣納めの儀、或は御誕生日等禁中大小の御事ある時には必ず御使を御差遣幣帛料を奉り給ひ、維新後には明治10年2月、明治天皇京都御駐輦中勅使を参向せしめられ同廿五年には皇后陛下御代拝として女官を御差遣同廿6年6月常宮、周宮両内親王殿下御同列御参拝あらせられ、其他皇族の御参拝もしばしばあり、大正、昭和に至りては昭和天皇を始め秩父宮殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下各御成年式の際幣帛を献じ給ひ、或は又昭和9年9月廿一日の颱風被害に対しては宮内省より金壱封の復旧費御下賜あり、且皇太后宮職並びに各宮家(秩父宮、高松宮、久邇宮、東久邇宮、北白川宮、竹田宮)より風害復旧費御寄附あらせられ、近年に於ては昭和27年12月皇太子殿下(現今上陛下)より御成年式並に立太子札御奉告の幣帛を献ぜられ、又昭和43年1月不慮の災禍に因る御本殿の再建復興に際しては特に優渥なる思召を以て御内帑金を御下賜あらせられ、常陸宮、秩父宮、高松宮、三笠宮の四宮家よりも同様、復興の資として金壱封を御寄進あらせられ、又平成14年11月14日には皇太子徳仁親王殿下当社に行啓あり、後陽成天皇御寄進の御牛車並に所蔵古文書を視察、調査された。

皇室の御崇敬 以上は皇室の御崇敬事例であるが武門の尊崇も深く室町幕府、織田、豊臣、徳川将軍職の寄進も多く又御神徳を敬仰する一般の崇敬も所謂御霊信仰として全国にあまねき京都府下に於ては分祀三十余社に及び神祇史上特筆さる。

 平安遷都にあたり延暦13年(794)桓武天皇さまが平安京の守り神として崇道天皇(早良親王)の御神霊をおまつりされたのが当神社のおこりです。当時天変地異や疫病の流行があいつぎ、それは非運の中に亡くなられた高貴の人々のたたりであるとされ、その人々の神霊をていちょうにおまつりすることによって、わざわいをなくそうという御霊信仰が生まれました。そしてそのおまつりを御霊会といい、京都の夏祭りの多くは御霊会ですが、当神社の祭礼はその発祥であります。以後井上内親王、他戸親王を始めとする十二柱の神霊がまつられ現在に至っていますが幾多の戦乱を経ながらも京都の市中の人々はもとより皇室又時時の施政者からも「産土神」「上御霊さん」と親しまれ敬われてきました。又、現在は上京区・北区にわたる一万三千戸の氏神様としても崇敬されています。
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#歳時記
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# 主な年中行事


神幸祭(社頭之儀)5月1日
還幸祭(渡御之儀)5月18日
往古は7月18日に御輿迎(神幸祭)8月18日に御霊祭(還幸祭)行はれ都下随一の風流祭礼にて上皇も桟敷殿にて御覧あらせられ結構を極めたりと云はる。明治維新までは両祭とも御神輿今出川御門より御所内に渡御の際、朔平御門に御神輿を奉安し天皇親しく御拝あらせられ、又維新後に於ては大正8年5月18日桂宮に於て皇后陛下御拝ありたり。尚世に中御霊と称すは当社御旅所にして明治4年末迄広小路寺町東入にありき。
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# 1月1日
2月
2月11日
3月
5月1日
5月5日
5月
5月18日
5月28日
6月30日
7月
8月18日
11月15日
11月18日
11月28日
# 歳旦祭
節分祭/古神札焼納神事
紀元祭
祈年祭
御霊祭社頭之儀
子供神輿巡行
かがり火コンサート
御霊祭渡御之儀
春季御内儀祭
夏越の大祓式/茅の輪くぐり
奉納写生大会/ラジオ体操会
例大祭/小山郷六斎奉納/狂言奉納
七五三奉祝祭
火焚祭/湯立神楽奉納
秋季御内儀祭
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御祭神
# [本殿八座]
・崇道天皇(スドウテンノウ)
  光仁天皇第二皇子
  早良親王
・井上大皇后(イノエノオオヒキサキ)
  聖武天皇第一皇女
  光仁天皇ノ皇后
・他戸親王(オサベシンノウ)
  光仁天皇第四皇子
・藤原大夫人(フジワラノタイフジン)
  藤原吉子命
・橘大夫(タチバナノタイブ)
  橘逸勢命
・文大夫(ブンノタイブ)
  文屋宮田麿命
・火雷神(カライシン)
  以上六所ノ荒魂
・吉備大臣(キビノオトト)
  吉備真備命
[相殿五座]
 三社明神(サンシャミョウジン)四座
 和光明神(ワコウミョウジン)一座
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境内神社
# ・神明神社
・稲荷神社
・厳島神社
・花御所八幡宮
・大舞神社
・天満宮社
・多度神社
・貴船神社
・粟島神社
・白髪神社
・長宮三十社
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御恩徳
# ・厄除(厄払い、病気平癒、
     交通安全、旅行安全)
・こころしずめ
・家内安全
・家業繁栄
・安産
・学業成就
・ 書道上達
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境内
往時俗に御霊の森と云い現今の約二倍の面積あり応仁の乱に際しては東軍の畠山政長御霊の森に拠りて城廓をなせし事史に見え、当時激戦の遺蹟として知らるると共に又以て古木鬱蒼たりし状想見するに足るべし。又境内井戸館の東に芭蕉の句碑あり、即ち元禄3年12月に芭蕉当社に参詣し「年忘レ」の俳句を(八重桜集)

半日は
神を友にや
年忘レ
芭蕉

尚現在の境内面積は2612坪なり。
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見どころ(境内史蹟)
# 境内史蹟 # 上出雲寺旧址
付近住民の氏寺であった上出雲寺は平安時代にはすでに荒廃していたと伝えられますが現在でも境内よりその古瓦が出土します。
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# 応仁の乱古戦場 # 応仁の乱古戦場
応仁元年(1467)畠山政長が御霊の森に陣をしき畠山義就と戦いを交えたのが応仁の乱の発端となりました。
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# 芭蕉句碑 # 芭蕉句碑
俳聖松尾芭蕉は元禄3年(1690)当社に参詣「半日は神を友にや年忘」の句を奉納、句碑は井戸館東側にあります。
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# 富士谷御杖詩碑 # 富士谷御杖詩碑
富士谷御杖は江戸時代の著名な国学者で詩は本殿造営(文政年間)に際し、寄せられたものです。詩碑は本殿前南側にあります。
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# 清明心の像 # 清明心の像
国際児童年(1979)にあたり生命の尊重と子供達の健やかな成長を祈り、中国宋代の学者司馬温公の故事に拠って建立されました。
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# 本殿 # 本殿
享保18年(1733)御寄進の内裏賢所御殿の由緒ある遺構を昭和45年に復原したものです。
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# 四脚門(南門) # 四脚門(南門)
伏見城の四脚門を移築されたものと伝えられています。#
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# 楼門(西門) # 楼門(西門)
寛政年間(江戸時代中期)に再建されたものです。
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# 絵馬所 # 絵馬所
宝暦年中(江戸時代中期)御寄進の内裏賢所権殿を絵馬所につくり改めたものです。皆川淇園(みながわきえん)・小林雪山等著名画師の作品がかかげられています。
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# 神輿三基 # 神輿三基
文禄4年(1595 )後陽成天皇御寄進
元和5年(1619) 後水尾天皇御寄進
明治10年(1877) 元貴船社より奉納
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# 御牛車 # 御牛車
慶長年間(1600年頃)後陽成天皇御寄進
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宝物
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神輿 二基
現今祭礼に奉舁するものにして後陽成天皇、後水尾天皇、御譲位の御時御鳳輦を御寄進あらせられしものにて後年之を神輿に造替せしものなり。古来「安産神輿」と称せられる。
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・御牛車
・鉄燈籠
一輌 / 後陽成天皇御寄附
一対 / 光格天皇御寄附
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指鉾
・太刀鉾(刀鉾)
・龍鉾(劒鉾)
・蓬莱鉾(松鉾)
・枝菊鉾
・桐鉾 
・鯱鉾
・葵鉾
・菊鉾
・亀鉾
・紅葉鉾
・宝鉾
・鷹羽鉾
・牡丹鉾
・柏鉾
・矢的鉾
永仁二年
永享三年
文明二年
永祿四年
慶長六年
元和九年
寛永二年
寛永三年
寛永十二年
寛文九年
元祿七年
享保二年
宝暦十一年
明和三年
安永四年
/ 伏見天皇御寄附
/ 後花園天皇御寄附
/ 後土御門天皇御寄附
/ 正親町天皇御寄附
/ 豊臣秀頼公御母堂御寄附
/ 御水尾天皇御寄附
/ 東福門院御寄附
/ 東福門院御寄附
/ 明正天皇御寄附
/ 新広義門院御寄附
/ 東山天皇御寄附
/ 源昭院御寄附
/ 桃園天皇御寄附
/ 有栖川宮御寄附
/ 後桃園天皇御寄附
# 古文書
・天正十三年九月九日
  / 正親町天皇綸旨
・文禄五年八月廿一日
  / 後陽成天皇女房奉書

上を初めとして明応八年以来奉書、弁官宣旨、御教書、奉加状、寄進状、下知状、執達状、書状等数十通所蔵す。
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ごりょうさんの「さえずり市」
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アクセス
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アクセスマップ # ・地下鉄烏丸線鞍馬口駅徒歩3分
・市バス37系統出雲路俵町西へ400m

【お問い合わせ】
住所:京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495番地
電話:075−441−2260
FAX:075−441−6066
受付時間:午前9時〜午後5時まで(季節により変更あり)
担当者:小栗栖元徳 小村徳義
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