神社の起こり

約三千年程前、此の地に住み着いた人々が、現在社殿の裏にある土盛りの処で、食物の神、野山の神を祭り、原生林を切り拓き田畑を造り、収穫した穀物を供え、作物の豊作と子孫繁栄の祈りを捧げるようになりました。

それから時が流れ、大和朝廷の基礎が出来上がった和銅2年(709)、丹波国守大神朝臣狛磨が朝廷の指示によって土盛りの前に社殿を造営し佐伯郷(宮前町狛倉、ヒエ田野町全域、吉田、並河、宇津根)の産土神として祭り、国の安泰と五穀豊穣を祈りました。これが稗田野神社の起こりです。





御祭神

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保食命(うけもちのみこと)
  穀物の起源神であり五穀豊穣、食を司る偉大なる女神。
  伊勢の神宮・外宮に祀られる豊受大御神と異名同神である。

A
大山祗命(おおやまずみのみこと)
  山を司る神。山の守護神、延命長寿・美人の守護神。

B
野椎命(のづちのみこと)
  
野を司る神。田畑の作物を守護する女神。





御神徳

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五穀豊穣、商売繁盛
A
無病息災、延命長寿
B
知恵と美人と癌封じ

三柱の御祭神中二柱迄が女神で一柱の男神も日本最長寿の岩長姫・日本最美人の木花咲耶姫の父神で婦人の守り神です。





朝野の崇敬

@貞観元年(859)勅使、神宝幣帛を献りて御参拝、五穀豊穣を御祈願

A延喜5年(905)国の神社として式内社となり国幣小社に列す、此の時、神祇官より御神像お移り

B寛喜元年(1229)勅使廣幡大納言、五個の燈籠を献ず、燈籠祭の始まり、その後数度の勅使参拝あり、戦国時代以後は亀山城主前田玄以、北条出羽守、松平将監、岡部内繕、菅沼織部、松平伊賀守以下亀山藩主(歴代)勅使代理として御参拝、明治維新に及ぶ

C明治6年郷社に、明治16年6月延喜式内社に公定、伊勢神宮大宮司御参拝